転勤族の子どもとして育った私の回顧録|転校と別れを経験した子どもは、大人になってどうなるのか
転校生の命運は自己紹介から始まる。
黒板の前に立ち、名前を名乗り、出身地を説明し、
そのたびに「またここから始めるんだ」と人生やり直しの気持ちだった。
私は、転勤族の子どもとして育った。
転校は一度きりの出来事ではなく、生活の一部だった。
友達と仲良くなったと思った頃には、別れが決まる。
「また会おうね」と言いながら、本当はもう会えないと思っていた。
転勤族の子どもは「順応力がある」「強く育つ」と言われることが多い。
確かに、環境に慣れるのは早かった。
そうしないと学校という社会の中で生きていけないから。
ただ、「転勤族の子どもは大人になってどうなるのか」。
それを、かつて転勤族の子どもだった一人として、そして今、転勤族として子どもを育てる親の不安を知る立場から、正直に向き合ってみたい。
転勤族の子どもとして育った私について
わたしは、小学校を3校、中学校を3校経験した。
東北地方から関東、中部、中国地方へと、本州のあちこちを転々として育った。
転勤族の子どもとして受けた影響は、今の性格にもはっきり表れている。
人の顔と名前を覚えるのが得意になったこと。
初対面では「人当たりがいい」という印象を持たれやすいこと。
人に与える第一印象の重要性を、必要以上に重んじるようになったこと。
こうした性格は、転勤を繰り返す中で身についたものだと思っている。
学生時代までは、自分は人見知りせず社交的な性格だと思っていた。
けれど大人になって振り返ると、それは「そう振る舞わなければ転校生として生き残れなかった」結果だった。
本来の私は内向的で、一人で過ごす時間を好むタイプだ。
それに気づいたのは、転校しなくなってからだった。
転勤族の子どもは転校をどう感じているのか
わたしが初めて転校を経験したのは、小学3年生のときだった。
小学校入学と同時に引っ越してきた地域だったため、幼稚園時代からの知り合いはいなかった。それでも3年間同じ学校に通い、友達ができ、居場所ができていた。
そんな中、両親から引っ越しを告げられた。
しかも、引っ越しまで残された時間はわずか2週間だった。
そのとき、わたしは泣いて「転校したくない」と訴えた。
泣いて頼めば、もしかしたら何とかなるのではないか。
そんな淡い期待もあったと思う。
けれど実際には、子どもが泣いたからといって転勤がなくなることはない。
両親の方針として単身赴任も選択肢にはなく、すぐに引っ越し準備に追われる日々が始まった。
新しい学校に慣れるまでに感じていたこと
関東の学校から転校した先は、中国地方の学校だった。
初めてクラスで自己紹介をしたときは、緊張で顔が真っ赤になっていたと思う。
それでも、何度も頭の中で練習してきた自己紹介を無事に終えると、休み時間にはクラスの子たちが声をかけてくれた。
この学校は転入・転出の多い地域だったこともあり、子どもたちも転校生に慣れていた。それは、当時のわたしにとって大きな救いだった。
転校生として辛かったこと
転校生として特につらかったのは、次のようなことだった。
- 方言がわからなかったこと
- 自分のイントネーションが周囲と違ったこと
- 体操服や学用品が友達と違っていたこと
- 教科書が異なり、しばらく隣の席の子に見せてもらわなければならなかったこと
- そして、また別れが来るとわかっていたこと
特に体操服が違うことは強く印象に残っている。
ただでさえ「自分はここでは異質だ」と感じている中で、その違いが目に見える形で強調されてしまうことが、つらかった。
初めての転校では、純粋に友達と離れる悲しさから泣いていた。
けれどそれ以降は、頭のどこかに「また転校する日が来る」という意識が常にあった。
いつになるかはわからない。
それでも、今の関係が永遠ではないことだけは、はっきりと理解していた。
だから友達と距離を取ることはなかったが、別れの予感が、ずっと心の中にこびりついているようだった。
別れた友だちと、今もつながっているのか
別れたとき、
「もうきっと会えないだろう」と思っていた友だち。
それでも、完全に諦めていたわけではなかった。
新しい住所を伝え、文通を続けた。
仲の良かった子とは、定期的に電話もしていた。
もちろん、途中で連絡が途絶えてしまった子もいる。
けれど何年にもわたって、お互いの近況を知らせ合っていた友だちもいた。
便箋や切手、電話代を気にせず使わせてくれた親には、今になって感謝している。
あの頃のつながりは、子どもだけでは維持できなかったと思う。
中学生になるとメールが使えるようになり、連絡はさらに取りやすくなった。
子どもだけで新幹線に乗り、友だちに会いに行ったこともある。
大学生になってからは、
10年以上会っていなかった小学生時代の友だちと再会したこともあった。
転校したからといって、そこで縁が必ず切れるわけではない。
本人たちが「つながり続けたい」と思えば、時間が経ってから再び結び直される縁もある。
今はSNSもある。
文通していた頃と比べれば、子ども同士が関係を保つこと自体は、決して難しいことではなくなった。
つながり続けられたかどうかは、距離よりも、環境と支えに左右されていたように思う。
転校と別れを経験した子どもは、大人になってどうなるのか
転校や別れを繰り返して育った子どもは、大人になってどうなるのか。
「順応力が高い」「コミュニケーション能力が身につく」と言われることが多い一方で、その裏側について語られることはあまり多くない。
わたし自身、大人になってから初めて、転勤族の子どもとしての経験が人間関係の築き方に大きく影響していたことに気づいた。
ここからは、実際に今の自分に表れている変化について、良かった面と、今も続いている影響の両方を書いていく。
人間関係を作るのが得意になった部分
転校生にとって、人から良い印象を持たれることは、その後の学校生活を左右する死活問題だった。
だから「笑顔でいること」「元気よく挨拶をすること」といった、ごく基本的な振る舞いは自然と身についた。
大人になった今でも、「人当たりがいい」と言われることは多い。
初対面の人の顔と名前を覚えるのも得意だ。
ただ、その分、こちらが相手を覚えていても、相手からは覚えられていないという場面に出くわすこともあり、ひそかに傷つくこともある。
逆に、今も苦手としていること
今も苦手なのは、長期的で深い人間関係を築くことだ。
浅く広いご近所づきあいのような関係は維持できる。
けれど「ずっと続く関係」を前提とした付き合いには、無意識に身構えてしまう。
いつか別れが来る人間関係を前提に育ったことで、一人の人と深く関わることに、怖さを感じるようになったのかもしれない。
また、誰に対してもいい顔をしすぎてしまい、結果的に自分の首を絞めることもある。
転勤族の親が知っておいてほしい、子どもの本音
ここまで、転勤族の子どもとして育った経験を、当事者の視点から振り返ってきた。
これから書くのは、「こうすれば正解」という話ではない。
転勤をやめることができない状況もあるし、親なりに悩み、考えて決断していることも、今は理解できる。
それでも、転勤に同行する子どもの側には、表に出しきれない気持ちが残ることがある。
ここからは、当時は言葉にできなかった、子どもとしての本音を書いていきたい。
子どもは「慣れる」のではなく「諦めている」こともある
最初の転校のとき、友達と離れたくないと泣いたあと、わたしは転校そのものを「どうにもならないこと」だと理解した。
親が決めたことに、子どもが逆らう選択肢はない。
自分一人だけその土地に残ることもできない。
選択肢がない以上、諦めるしかなかった。
当時、親にどうして欲しかったか
親も、1年半から長くて3年おきに引っ越しを繰り返し、大変だったと思う。
引っ越しで人と別れるつらさは、親も同じだったはずだ。
だから、引っ越し自体を止めてほしかったわけではない。
ただ、「友達と離れたくない」と泣かなくなってからも、毎回、心の中では寂しさを感じていたこと。
それを、なかったことにしないでほしかった。
引っ越さない選択肢がないとわかっていても、「寂しい」という気持ちだけは、聞いてほしかった。
まとめ
転勤族の子どもとして育った経験は、良い面もあれば、今も影響として残っている部分もある。
環境に慣れる力や人当たりの良さは身についた一方で、別れを前提に人と関わる癖や、深い人間関係への苦手意識も、簡単には消えなかった。
転勤そのものが悪いわけではないし、親なりに悩み、考え抜いた選択であることも、今は理解している。
ただ、子どもは「慣れているように見える」だけで、何も感じていないわけではない。
もし転勤族として子どもを育てているなら、子どもが口にしなくなった気持ちにも、そっと目を向けてほしい。
引っ越しをやめることはできなくても、寂しさや不安を感じること自体は、否定しなくていい。
転勤族の子どもは、大人になっても、それぞれの形で生きていく。
その一例として、かつて子どもだったわたしの経験を、ここに残しておきたい。
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