絶賛風邪気味のゆうちきです。
我が家は息子から始まり、わたしもパパさんも妹も全員が【鼻水・痰・咳・熱はない】という症状のウィルスに侵されております・・・
しかも年末から今日現在も続いているという、なかなか長引いた風邪です。
今週様子を見てダメならもう一度病院に行かねば;;
さてさて、タイトルの「【出産・育児】を山登りに例えてみた」は夢の中で突然思い浮かんだ意味もない言葉なんですが、考えてみると「確かにそうかも!」と後付で納得する部分があったので書いてみたいと思います。
あくまで一つの例えなので、一種の物語として読んでもらえると嬉しいです。
「妊娠」は山登りの始まり
山登りを始めた時は「これからどんなことが起きるんだろう?山頂からはどんな景色が見えるんだろう?」と不安と期待のドキドキが入り混じった状態です。
まだ楽しみの方が大きいかもしれません。
山登りを始めて早々に難所(ツワリ)があり、辞めるほどではないけどちょっと辛いなという状態が続きます。
なんか貧血気味だし、胃がムカムカするし、なんでこんな体調で山登りなど・・・
わたしはこれが山頂に着くまでずっと続きました。
登っている山の標高(妊娠期間10ヶ月)はわかりますが、実際どのくらいの厳しさの山なのか、自分では可能なのかこの難所の時点ではわかりません。
先に登った人たちのデータやレポート(出産レポ)だけが頼りです。
みんな頂上では感動で涙が出ると言うけど想像もつきません。
山登りを始めてある一定のところ(妊娠22週)を過ぎると、山を降りること(中絶手術をすること)もできなくなりました。
これからはひたすら登り続けるしかありません。
ここからの道のりの助けになるのは一緒に登ってくれる仲間(旦那さんや家族、ママ友など)が大きいです。
聞いていた話と違う数々の難所
この山登りのHOWTOは数々見てきました。難所や山道のパターンも多数頭に叩き込んであります。
でもさっきから聞いていた話とは違うところでいろいろな問題が・・・
こんなところで突然クマに襲われたり、落とし穴に落ちたり、準備していた道具が足りなくなるなんて聞いていない。
ちゃんと【必要】と言われたものは準備していたのに、いらない荷物は重いし、肝心なものが足りない。
そう、この山は人によって道も難しさも変わるんですね。
同じなのは「山頂(出産)」があるという点だけ。
しかもある程度の高さまで来てしまって下を見ると、登り始めた時とは別の不安感や恐怖感が襲います。
でももちろん後戻りは出来ません。
山頂が見え始めてからが長い
山の頂上が見えてきて(陣痛が来て)、ようやく終わる!と思ったのに山頂近くは空気も薄く、今までと比べ物にならないくらい大変です。
しかもここまでくるのに疲労も溜まっているし、ものすごく大きな荷物(臨月のお腹)を持った状態です。
今までと同じペースで登ることは出来ません。
10歩歩くごとに(10分間隔で)激痛が襲ってきて、そもそも歩くどころではないけど、進まなくては頂上につけない。
ようやく頂上の旗が見えて手を伸ばせるところに来たのに、あと一歩手が届かなーい!なんてそこから3時間(分娩台に乗って3時間)なんてこともあります。
でも力を入れて頂上の旗を掴めばゴールです!
念願の山頂
ついに!やりました!念願の頂上に!
この感動はやはりひとしおです。
わたしの場合は、唐突に世界平和を願いました。
なぜか今まで考えたこともない壮大なことに対して興味を持ちました。
戦争がなくなればいいと思ったし、世界中の人が食べ物に困らず平和に暮らして欲しいと思いました。
そのくらい、なんというか自分の価値観にインパクトを与える出来事だったんですね。
この時の印象もきっと登る途中が違っていたように、人によって違うと思います。
山頂で終わりじゃなかった
登山というのは登って終わりではありません。
登ったということは、同じ高さを降りていかなければいけないんですね。
山からくだるのは基本的になだらかで、ずーっと長く続いていきます。
どこがゴール地点なのかは全く見えません。
とにかく一歩山頂から踏み出したら下山というなの【育児】が始まります。
山から降りているということも忘れるくらい、日常になるでしょう。
もちろん降りている途中にいい景色もあるし、ちょっと進むのが難しい箇所、突然のアクシデントもあります。
でもいつか登山は終わります。
しかも、気づかないうちに。
この山には登る人もいるし、登らない人も居ます。
一人で登る人も居るし、夫婦二人三脚で登る人、意外とロープウェーですんなり登る人。
登る人に共通するのは、【山頂がある】こと。
そして【登ったら降りる】ということ。
では、また!